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2006年10月 5日 (木)

Vスペが無くなるなんて・・・

またもや悲しい事実が・・・。

長年、私の愛読書となっていた、「DOS/V SPECIAL」が休刊となりました。

月が明けたにも関わらず、Vスペ買うの忘れてるな~と気にはなっていたんですが、いざ、表紙を見ると、「11年間ありがとう 怒濤の最終号!」って・・・。

これはショックやわぁ。

週刊誌、月刊誌問わず、殆ど購入しない私が唯一、毎月欠かさず購入していた雑誌なんです。

580円から680円に値上げしたけれども、安くて、要らないCD付いてない、しかし、内容の濃い、本当に良いパソコンハード誌でした。

1995年創刊で11年目というと、丁度私が買い始めた頃と重なるので、ほぼ創刊から読んでいることになる。10年来の友という感じかなぁ。

1995年というと、その数字が示すとおり、Windows95が発売された年でもあります。

--私なりに昔を振り返って、Windows95発売前--

まず、Windows95の少し前はと言うと、DOSでしたね。DOSとは、ディスクオペレーティングシステムの略で、今のOSと比べると、本当に低機能なものでした。ソフトを起動するにも、CD-ROMを使うのにも、いちいちファイルに設定を記述しなければならなかった。当時高校生の私達は試行錯誤してやってたなぁ。マイクロソフトから発売されていたのが、MS-DOSで、各ソフトメーカーも独自のOSを作っていた時代でもあります。

当時、NECのPC98(通称キューハチ)シリーズのパソコンが国民機とまで言われ、日本国内のシェアの70%とか80%とか言われてました。そういえばEPSONがPC98互換機を作っていたっけ。

パソコンって、現在では一家に一台はあると思うけど、この頃は当時の定価で30万とか40万とかしてたんだよね・・・。今だったら最高級ノートパソコンを買ってもお釣りが来る。

私の場合、友達のお父さんに譲ってもらったのが、私の最初のパソコン。PC98VMだっけ、懐かしいな~CPUはV30だっけ、何かそんなやつ。デジタルモニタで、8色しか表示できなかった。16色ボードなんて物も発売されたっけ。音源なんて無いのでビープ音がビービー鳴るのみ。ハードディスクなんて無い。フロッピーは5インチ。メモリは640KBだったかな?。それでソーサリアンとかブランディッシュとかやってたな。マウスも沢山壊した。しかも1個6千円とかするし、今考えると結構ひどいなw

国産パソコンであるNECのPC98。では、PC98以外にパソコンはなかったのかというと、そうではない。macはもちろんあったが、置いといて。もともと、PC98はIBMのPC-AT互換機を日本向けに発展させたものであり、元は同じ物。元々英語しか扱えないパソコンだが、日本人でも使えるように、日本語のROMをハード的に搭載したのが、PC98だと思って良いと思う。その日本語ROMが搭載されていない、IBMのPC-AT互換機の総称を、我々はDOS/V機やAT互換機と呼んでいる。

現在お店で購入できるWindowsパソコンは、全てDOS/V機である。日本語のROMを搭載していないのに、どうやって日本語を使えるようにしているかというと、Windowsがソフト的に変換して使えるようにしているのだ。当時は日本語入力にはハード的にROMを搭載しているPC98が有利と言われていたが、Windows95が出る頃には、ハード的に性能も上がっていて、特に不利になるほどの低下はないと言われていた。今ではもう無問題でしょう。逆にメリットとして、日本語と英語のみじゃなく、日本語版のWindowsでも、世界中の言語が扱える様になった。我々が無意識に押している「漢字」キーを押して切り替える操作を、漢字入力切替と呼ぶが、外国の人も同じ様な操作で母国語入力に切り替えているに違いない。

CPUはその後、インテルからi286、i386、i486、Pentium等が発売された。x86系CPUと言われる所以で、正式には80286、80386など。最初が8086だった。iはインテルのi。ちなみにV30はNEC製。当時のCPUは直付けで、交換できなかった。CPUクーラーなんて存在してなかったほど、熱を発しないものだった。クーラーが必要になったのはPentium辺りから。初期のPentiumが50MHzくらいだった。Pentium以前のCPUはシングルタスクで、同時に2つの処理を実行することが出来なかった。マルチタスクで動くPentiumは、同じくマルチタスクで動くWindows95に必要不可欠だった。でも、PentiumじゃなくてもWindows95動くけどな・・・どうなってんだ?

入力機器としては、キーボードはもちろんだが、マウスもあった。モニタはアナログモニタ。この辺は最近と変わりませんね。コネクタの形状は違って、モニタは3段の15ピン、キーボード、マウスはPS2接続ではなく、シリアルバスマウスとか、PC98独自の規格だった。Windows95が出るまで「ウィンドウズキー」はなく、両側とも空間だった。始めてこのキーを見たとき、何じゃこれ?と思ったのを覚えている。マウスは2ボタンマウスしかなかったが、トラックボールは既にあった。

記憶媒体としては、だんだんとフロッピーからハードディスクに移り変わっていた。ハードディスクは、内蔵のIDEと外付けのSCSI(スカジー)のハードディスクがメインだった。400MBとかそんな容量だったっけ、それで3、4万くらいだったような。

周辺機器メーカーは、今でもお馴染みのBuffalo(旧メルコ)、I・O DATA、Logitecはすでにあり、外付けのSCSIハードディスクは主にこれらのメーカー製の物が使用されていた。

USBやIEEE1394なんてものは当然無い。PC98独自のCバスという拡張スロットが背面にいくつかあり、ここにサウンドボード、ネットワークボード、SCSI(スカジー)ボードなど好きな物を差して使う仕様。DOS/V機ではCバスではなく、ISAバスというのがあった。後にPCIバスも出てきた。

PC98用の周辺機器というと、それほど多くなかったが、DOS/V機用パーツの多種多様さ、何に使うか分からない不気味さにワクワクした。

ソフトメーカーといえば、マイクロソフトは当然あるけど、ジャストシステムは一太郎を作ってたし・・・ん?よく考えたらビジネスソフトは分からんわw

パソコンゲームソフトで一番、そして今でも有名なメーカーといえばファルコムだよね。ファルコムから発売されたゲームはほぼクリアしたね。発売されるCDもほぼ購入してた。「イース」「ソーサリアン」「ブランディッシュ」「英雄伝説」などは今でも名作と呼べる。あと、「A列車で行こう」「ルナティックドーン」のアートディンク、「大航海時代」「信長の野望」「三国志」「ウイニングポスト」のコーエーなどは有名どころ。

ユーザー泣かせの最強ゲームとしては「ルナティックドーン」を上げたい。セーブデータが100MBで、データ保存するのに、十数分かかった記憶がある。大容量ハードディスクの現在でも、セーブデータ100MBは無いのでは。

エロゲーギャルゲーメーカーで言うと、アリスソフト、エルフはもちろんあった。良く思い出せないけど、フェアリーテールとかD.O.だっけ・・・。なんでギャルゲーの話をするかというと、パソコンのゲームを語る上で、ギャルゲーは外せないから。パソコンゲームで一番売り上げが高く、回転の速いものは、やはりギャルゲーだと思う。ギャルゲーがここまでパソコンを浸透させたと言っても過言ではないはずだ。

特に、当時のパソコンとゲーム機を比べると、ゲームをするだけなら、ゲーム機の方が性能は上だ。しかし、パソコンでしか出来ないゲームがある。特に今も昔も、Hなゲームはパソコンでしかできない。

--昔話を始めるとすげぇ長くなるので、Windows95発売後--

Windows95は、DOSとは違い、とても高機能になりました。DOSでは、ディスク、マウス、キーボード、モデム、など一通り動かす事は出来るが、使用できるメモリ容量に制限がある、ユーザーインターフェースがコマンドラインである等、とても使いやすいとは言えなかった。

Windows95はユーザーインターフェースを改良し、いわゆるデスクトップ画面をマウスで操作し(GUI)、各種設定、ソフトの起動をWindowsが制御するようにした。DOSでは、直接CPUに対して命令していたものを、Windowsを介して命令する。

GUI:グラフィカルユーザーインターフェース(視覚的に操作する事が出来る入力画面)

今後、大容量メモリ、大容量ハードディスク、グラフィックカード等が使用可能になり、一気にパソコンの性能が向上する事になります。新しい機器を接続する場合は、機器に添付されているドライバディスクから、ドライバを読み込ませる今の形に。

それまではNECのPC98一色だったのが、各メーカーからWindows95搭載パソコンが発売された。

そして、「自作」がはやりだしたのもこの頃から・・・少なくとも私が自作を始めたのはこの頃から。そして、自作を始めて以降、”パソコン”を買ったことはない。パソコンパーツを買って、バージョンアップを重ねている。ノートパソコンは一台持ってるけど、例外ね。

パソコンを自作するに当たって必要なパーツというのは、現在と変わらない。CPU、メモリ、マザーボード、グラフィックボード、サウンドカード、ハードディスク、フロッピー、CD、電源、ケース。DOSの時苦労したCDのインストールはドライバディスク突っ込んだら勝手に認識される様になった。ミツミのCDドライブはWindows95の標準デバイスとなり、ミツミは自作者の合い言葉のようなものだった。

一つ思い出したけど、初期のWindows95はフロッピーディスク20枚組だった。一枚一枚ガチャガチャ入れ替えてたよ、この頃は。

自作が一番楽しかったのはこの時期。Windows95が発売されてから、Windows98のセカンドエディション辺りが発売される頃までか?セカンドエディションで、もうOSとしてずいぶん安定しちゃったからね。

日本橋に出かけては新しいパーツを買ってきて、パソコンに増設していく。余ったパーツでもう一台組む。日本の有名メーカー製は高いので、海外メーカーのを買ってきては、よく自爆したっけ。

当時はまだまだOSも、ハードの相性的にも不安定で、みんな試行錯誤してやってた時代。次々と新製品が投入され、中古パーツも沢山出回っていた。CPUのクロックアップも盛んに行われていた。LANやRAIDにチャレンジしたり、結構勉強したな。

セレロン300MHzが600MHzで動いたりしたよね、あれはいつの頃だったっけなぁ。

今ではOSもハードも相性問題なんて殆どないけど、当時はそれが普通だった。自作関係は全て自己責任でって感じだった。

それでも私はあまり冒険はしない方だったと思う。

そんな私でも、UltraWideSCSIという高級規格に手を出してみたり、Panasonicから発売されたPDという定価10万程する、今で言うBlu-rayディスクドライブのような物を発売日に購入したりしてたな・・・。正直、どちらも成功したとは言い難い商品だった。

あと、PhotoShopを購入したり・・・絵、描かんのに、同じく10万程。

欲しい物は欲しいんだ精神で、一体いくら注ぎ込んだだろうね~。

親が聞いたら呆れるな、きっと。

おかげで今は怪しい物には全く手を出さなくなったけどね。

まとめ・・・

パソコンの高度成長期が始まる前に良き友人と知り合い、その影響でパソコンを始め、高度成長期の試行錯誤する楽しい時代をDOS/V SPECIALと過ごし、現在の自分と仕事があるわけで、良い時代を経験したなと思います。

Vスペの巻末にもあるように、確かにインターネットの普及した現在では、わざわざ雑誌を購入しなくても、最新情報を得ることが出来ます。かくいう私も、Vスペを読んではいるが、最新情報はネットで手に入れています。しかし、雑誌って自分で調べ物をしなくても、著者が調べた情報を読めばそれが自分の知識にもなるわけで、自分の知らない知識を定期的に補充するために必要な物だと思ってます。

Vスペに取って代わる雑誌はないと思いますが、言っててもしょうがないので、代わりになるような雑誌を探してみます。制作者の方々、11年間おつかれさまでした。そして、ありがとうございました。ここまで読んでくれる人はいないと思いますが、読んでくれた方にも、ありがとう。

*出来るだけ文字を省略しないで書きました。慣れてる人には読みにくいだろうけど、初心者さんにも読めるように。

*文中、分からない言葉が出てきた場合、分からないからと言って放り投げないで自分で調べてみよう。アスキーデジタル用語辞典

*私の記憶を頼りに書きましたので、間違った情報が含まれている可能性もあります。他のホームページと比較したりして、情報として採用するか採用しないか自分で決定してください。

*結構な行数書けるな、ココログ。

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